iPhoneを修理で一時的に手放して感じたこと

先日iPhoneを修理してもらった時、約二時間ですがiPhoneを手放す時間がありました。

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その間、渋谷を適当にぶらぶらと歩いていて、思うところがあったので書いておきます。

時間がわからない

まず最初に感じたのがこれです。ふだん腕時計をしていないので、今何時なのかさっぱりわかりません。自分が歩いた範囲がたまたまそうだったのかもしれませんが、どこかのお店に入ってみても、思いのほか時計が見当たらない。結局、通りかかったコンビニや、途中で入ったカフェの伝票*1などから知りましたが、早く感じたり遅く感じたり、自分の時間の感覚ってアテにならないもんだなと。

ネットが使えない

ひたすら歩き回るのもなんだからカフェに入ろうと思ったものの、気になったお店は中の様子がわからず。ふだんならネットで調べたりするんでしょうが、看板を見るとなんとなく女性向けっぽいのかな?という気がしたので別のお店に。誰かと一緒にいたわけでもないし、気にせず直感で最初のお店に入ってみるべきでした。

写真が撮れない

写真を撮る頻度はそう多くないんですが、撮るときはすっかりiPhoneになっていて、デジカメはほとんど使わなくなっていました。こういうときこそデジカメの出番なわけですが、修理に出す前、割れたiPhoneを撮っておこうと久しぶりに電源を入れてみたら当然つくはずもなく、充電してもバッテリーがないと表示されて、使えたり使えなかったりする始末。やっぱりiPhone以外でも写真が撮れるようにはしておきたい。

iPhoneもPCも使わない日がもっと必要?

iPhoneにしろPCにしろ、もう何年も一日のうち少なくともどっちかは使っているのが当たり前の生活をしていて、ときどき一週間ネットを断ってみました。みたいな記事を読んだりするけど、自分でやってみたことはないし、いざやってみたとしても完全に断つのは難しい気がします。難しいと感じる時点でいかに依存してるかってことですね。

iPhoneの修理自体は思わぬ手間と出費になってしまいましたが、こういうことをぼんやりと考える時間ができてよかったのかもしれません。

*1:そんなに時間経ったの?と思ったら間違っていて、実際は20分くらい早かった